デムパの日記

あるいは「いざ言問はむ都鳥」普及委員会

ノロウイルスのこと

先日に続いて自ら体験した食中毒について。
博士課程の学生だったころ、研究室の忘年会に出席しました(金曜の夜)。
その年はいろいろあって(なぜかはもう覚えていない)街中の居酒屋に毛が生えた程度の和食の店に。
スキヤキなんかと生牡蠣が出て、おいしくいただいて帰りました。
土曜日は何も変わることなく半日研究室で実験して帰宅し、普通に過ごしました。
日曜の夕方くらいからちょっと熱っぽくなって、はやく床につきました。
月曜朝になっても熱は下がらず、たぶん37℃ちょっとだったのですが、平熱が低い僕にはちょっとキツく、さらにそれに加えて頭痛と時々の嘔吐感がある状態。
お腹に来る風邪引いたかと思い、おそるおそる休ませてほしい旨を研究室に電話しました。
そしたら秘書さんが「○○先生も○○先生もお休みです」と。
後でわかったのですが、忘年会に出席した20数名のうち2/3が僕と同様の症状で休んでいました。
発症者全員に共通の食事は宴会の料理だけで、非加熱のものはスキヤキ用の生卵と刺身と生牡蠣とサラダ。
今ならわかります。
ウイルス汚染生牡蠣による典型的なノロウイルス感染です。


当時はノロウイルスという名前はついておらず、主にその形態から「小型球形ウイルス(SRSV)」、最初の流行地からノウォークウイルスなどと呼ばれていました。
今ほどの知名度もありませんでした。
ノロウイルス食中毒では、喫食後24〜72時間程度で発症し、主な症状は頭痛、発熱、腹痛、嘔吐、下痢で命に関わることはほとんどありませんが、乳幼児や高齢者では脱水や吐物による窒息に注意が必要です。


以前は「生牡蠣に当たった=ノロウイルス」というのが中心でしたが、その後、感染者が食品を扱ったことによる二次的食中毒や、感染者の吐物や糞便が乾燥した粉塵を微量に吸い込んだだけで発症するケースなど、吐物や糞便を介した二次感染やヒト・ヒト感染も注目されており、冬場に発熱嘔吐下痢で医者にいけば、流行状況と問診だけでノロウイルス感染と診断しちゃう医者もいるくらいです(NHKのニュースで見た)。


ノロウイルスが粉塵や飛沫でも感染するのがわかってきたのはここ10年くらいです。
この感染経路の解明には(当たり前ですが)疫学が貢献しています。
一例として、海外での集団食中毒事例を紹介しましょう。
ある家族が食中毒症状を示し、レストランでの食事が疑われました。
調査の結果、同じ日にそのレストランを利用した人たちも大勢が食中毒症状を示していたことが明らかになります。
患者の糞便からは同一タイプのノロウイルスが検出され、この時点で原因はレストランでの食事とほぼ断定されました。
原因は生の食材がウイルスに汚染されていたか、あるいはウイルスに感染した従業員がトイレの後、良く手を洗わずに調理に従事したとか、まぁそんなところだと誰もが思いました。
ところが、レストランで出された料理からも、調理に従事した人の検便からもウイルスは見つかりません。
調査を続けていくと、興味深い証言が得られました。


「食事中に嘔吐した客がいた」


このことに着目した調査チームは、同じ日にレストラン利用したにもかかわらず、食中毒を発症しなかった人も含めてをさらに詳細な聞き取りを行いました。
その結果、嘔吐者が出る前に店を出た人に発症者はいないことがわかりました。
そこで嘔吐後の利用者が当日どのテーブルにいたかをプロットしたところ、


「嘔吐した人に近い場所にいた人ほど発症率が高い」


ということがわかりました。
嘔吐者がそもそもノロウイルスに感染しており、吐物の飛沫が散って多くの人が感染した二次感染事例だったのです。
感染者を空間的にプロットして原因を明らかにするというのは、疫学の父と呼ばれる人が行った古典的手法ですが、最近では食中毒の調査で利用される場面はあまり無いようです。
嘔吐者からも当然ながら同じタイプのウイルスが検出されますので、時系列と座席という空間的データに注目しなければ、「原因食材不明のノロウイルス食中毒」で片付けられ、レストランは営業停止や賠償請求という目に遭っていたことでしょう。


ノロウイルスが生牡蠣などの食品だけでなく、人由来の吐物や糞便の飛沫や粉塵で感染することは、なかなか受け入れられませんでしたが、その後我が国でもホテルの廊下での嘔吐が原因で除去しきれずに残った吐物が粉塵となって(ホテルは乾燥してますからね)、その廊下を通っただけの人が多数感染した事例や、嘔吐物の処理に使った雑巾を干した部屋の人たちがそこから感染した事例などが明らかとなり、いまや常識として受け入れられるようになりました。


ということで、僕はそれ以来生牡蠣は一切食べていませんし、牡蠣鍋の時には牡蠣の入っていたパック内の水の飛沫にも十分注意し、しっかり加熱してから食べています。
よく「65℃で3分加熱」と言いますが、冷凍の場合は食品のサイズによってはこの条件だと中心部は加熱不十分になる事もあるので念のため。