デムパの日記

あるいは「いざ言問はむ都鳥」普及委員会

あの日から1年

午後2時46分。
雪の降るなか、繰り返す余震に恐怖しながら呆然としていたあの日から1年経った。
震度4を超える余震が連続し、怖くて屋内にいられないので車の中で眠れぬ夜を過ごした。
翌日からはスーパーで食料を買うために雪の降るなか3時間以上も並ぶ老人たち。


僕は家も職場も内陸で津波被害は皆無だったが、それなりの日常生活を取り戻すのに1ヶ月以上かかった。
(地下鉄通勤の人はもっと長い間、バス代替輸送の列に並ぶことを強いられていた)

蛇口をひねれば水が出る。
電気が使える。
毎日風呂に入ることができる。
スタンドへ行けば給油や灯油の購入ができる。
近所のスーパーで牛乳とヨーグルトがいつでも買える。
時刻表通りにバス地下鉄が走る。

飲み水の残量、食料の残量、灯油の残量、カセットコンロのボンベの残量、ガソリンの残量。
「このペースであと何日持つか...」何度も何度も計算したのを思い出す。


今はペットボトルの水を48リットル、ガソリンを30リットル常備している。
ガソリンの保管が危険だって事は当然理解しているが、あの時ガソリン給油のために何百台もの車列にならび、数時間待ち、挙げ句の果てに売り切れて徒労に終わる経験はそれを上回る。
(ガソリンに不安が無ければ山形や新潟に買い出しに行くことだってできたのだ)
食料もコメ以外に2週間分くらいは確保している。
それでも不安だ。

ビルの上層階や、エレベーターや、カラオケボックスや、大規模量販店なんかにいるときに、また地震が来たらどうなるだろうと思う。

がれき処理や復旧すら目処が立たない現状では、そんな不安に絡め取られた感じは、まだしばらく続くのだろう。