デムパの日記

あるいは「いざ言問はむ都鳥」普及委員会

学部一年のころの思い出

Twitterで呟いたらそこそこ反響があったので、ここにも少し手を入れてまとめて書いておく。

 

僕の出身大学には、卒論のラボが決まるまでの担任(仮の指導教官)制度があって、学籍番号順に各教官に3人ずつくらい機械的に割り振られたんだけど、三年次の秋までの間はその教官の所属ラボのイベント(新歓、花見、忘年会、送別会)に参加する事になってた。

教授、助教授、助手の先生方だけでなく、院生、卒論生、3年、2年の先輩の話を聞ける貴重な機会でもあった。

まぁ、僕が入学した時は学科の教職員と院生学部生全部合わせても100人くらいしかいなくて、みんな顔と名前が一致するくらいのファミリーだったし、農芸化学科全盛のバイオブームにわざわざ理学部生物学科を選ぶ変わり者の集まりだったから、学科や有志の主催する宴席はたくさんあったのだけど。

その地方は酒を(鯨飲レベルで)飲んでは議論(たまにエキサイトして物理で殴り合いを)するのが大好きなお国柄で、宴席では名誉教授も一回生も対等に近い感覚で飲み明かした。

まあそれはいいのだけどもう一つ、宴席では偉い人が若い衆に酒を浴びるほど飲ませて(酔わせて)回るという(唯一対等な立場でなくなり拒否はできなかった)不思議な文化があった。

僕は生意気な一回生だったので、長老クラスの先輩に何度か潰されかけた(今でも恨んでますよ、先輩)。

そのため、別の地方に移ってからの宴席ではぼんやり座っていて「偉い人にお酌をして回らなきゃダメじゃないか!」と怒られて、ああ普通はそうだよなぁと昔を思い出してつい苦笑してしまったことも何度か。

話は戻って、僕の担任は中堅の助手(今でいうテニュア助教)に決まったのだけど、そのラボの老教授がラボの新入生歓迎会でこんな事を言ってた。


「生物学には、学者だけでなく(小学生やアマチュア含めて)すべての人に解くべき謎が残されている。こんなに面白い学問はない」


30年以上前の事だけど、今でもはっきり覚えてる。その時先生にはもう一つ言われたことがあるのだけど、それはまた後日に。

その先生はのちに学部長や学長を歴任されて定年を迎え、海に近いご自宅で老後を過ごしていた。卒論修論のラボは迷った挙句、別なところを選んだので、博士課程進学のためその地方を離れてからは先生の事を聞くこともなかったが、最近になって、しばらく前に鬼籍に入られていたと人づてに知った。
新入生相手にもたいへん厳しいところもあったけど、一人前の大人扱いしてくれたのだと今ならわかる。
筋さえ通せば話のわかる先生だった。

必修の授業は別として、直接研究指導を受けたわけではないから師匠と弟子って関係ではなかったのだけど、学部時代に大きな影響を受けた人物のひとりなのは間違いない(他に5〜6人いるのでそれはいつか別に紹介したい)。
僕が休日にひとり野外調査の真似事をしているのも、生来の生き物好きというだけでなく、先生のあの日のあの言葉があったからだと思う。

もっとも、フィールド系の講義は最低限しか受講せず、そっち方面の正式な研究教育を受けたわけでもないので、調査結果を発表する予定などはまったくないのですけどね。